飛鳥山公園

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 お詣りを済ませ牛坂、中央大学、富坂を経て昼食場所に予定していた礫川公園に向かったが、ぐずつき気味の空模様のため適当な休憩場所が無く、
予定外のお向かいの文京区シビックセンターの軒下やセンター地階のベンチなどに分散して適宜昼食を摂る破目に。
 文京区シビックセンターは区民施設とホール・区役所などの公共機関からなる総合施設で、昼食を終えて25階の展望ラウンジに登ると、
あいにくの天気で富士山や筑波山などの遠景は望めなかったが、スカイツリーなど都内一円を眺めることが出来た。
さあ午後の部のスタート、真砂坂を経て文京区ふるさと歴史館に向かう頃にはすっかり雨が揚がって気温も上がりコンディションは上々。
ここでもあらかじめお願いして待ち受けていてくれたボランティアガイドの先導で2グループに分かれ、文京区の歴史・史跡・文化や樋口一葉など
ゆかりの文学者などの展示物について説明を受けた。
 ここから炭団坂・菊坂を経て樋口一葉旧居跡に向かう前に、近年この界隈を往来する見物客のまき散らす騒音がうるさいと近隣住民が
問題視し、ついには一葉旧居跡を示す案内板を撤去するまでになっているので、厳に静粛にと注意をお願いした。

コース:飯田橋駅→小石川後楽園→北野神社→牛坂・富坂→礫川公園→文京区シビックセンター→
文京区ふるさと歴史館→炭団坂・菊坂→樋口一葉旧居跡→源覚寺→傳通院→小石川植物園→茗荷谷駅

皆さん、無事に完歩お疲れ様でした。  

「名所旧跡巡り同好会報告」

   文京区小石川エリア歴史散歩 

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そして幾分疲れ気味の足を最後のコース小石川植物園へ向ける。
ここは5代将軍綱吉の館林城主時代の別邸の地で、植物学の教育研究を目的とする東京大学の教育実習の施設。
幕府が作った小石川御薬園・養生所がその前身。広大な敷地内を “ニュートンのりんご” “メンデルのぶどう”
“旧養生所の井戸” などをつまみぐいで辿り、近くに予約した打ち上げの懇親会場へ。
ここから緩やかな坂を登り傳通院に至る。家康が生母於大をこの地に葬り、その法名から傳通院とされた。
立派な山門と広い境内から墓地に入ると於大の他徳川ゆかりの千姫や将軍正室らの巨大な墓が多数ある。
炭団坂の石段を降りるところで口元に人差指を添えてシーッ、みんなも合わせてシーッ。石段を降りると菊坂の細い路にレトロ調の住宅がぎっしりと並び、
一葉旧宅跡に通じる路地裏に入るところでもう一度シーッ、古めかしい長屋めいた木造住宅で今も住人がいるようだ。皆さんご協力ありがとうございました。
あらかじめお願いしていた2名のボランティアガイドに引率されて2グループに分かれ、小雨でしっとりした風情の園内を1時間ほど熱心に説明案内して
もらいみんな満足の気分。そして散り際の枝垂桜と東京ドームの屋根を背景に集合写真をパチリ。ここは折々の機会に来園してじっくり鑑賞するのがお勧め。
最初に向かったのは小石川後楽園、ここは現在の東京ドームなど近隣の地域を含む広大な敷地を占める旧水戸徳川家
中屋敷の庭園。初代藩主順房が着手し2代藩主光圀が受け継いで完成したもの。中国趣味豊かな回遊式築山泉水庭園で、
中国の教え、「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」から「後楽園」と名付けられた。
国の特別史跡・特別名勝に指定。
コースの文京区小石川エリアは千代田区・新宿区に接し山手線内の都心に在るが、なじみのある東京ドーム以外は落ち着いた
住宅地・文教施設・寺社・緩やかな坂道などが多い静かな佇まいの地域だ。 
いつもの常連のほか今回は会員の小林豊さん、栗城富一さん、それに成田さんの友人の勝野みつ子さんが初参加。 

三瓶 英雄(新十回卒)

2015年4月11日(土)

明治時代の女流作家一葉は、この地で18〜21歳の間洗い張りや針仕事などの内職をして母と妹の3人で貧しい生活をしていた。
その後転居を繰り返し、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などの秀作を発表したが、肺結核により24歳という短い生涯を閉じた。
終焉の地も近くにある。
予定通り実施するか、翌日に順延するか気をもませたあいにくの小雨模様にもめげず、JR飯田橋駅に26名が集い元気にタウンウオークをスタートした。
期日:平成27年4月11日 
参加者:26名  

酒井さんの発声で乾杯のグラスを傾けると、程よく疲れたお腹にアルコールが気持ちよく染み渡る。いつものようにご機嫌な盛り上がった懇親会になり、
またの再会を期してお開きにし、三々五々茗荷谷駅に向かった。
ついで、老舗や下町風の店が目立つ春日町を通り、こんにゃくえんまの別名で知られる源覚寺に向かう。ここは江戸時代目を患った老婆が閻魔様から
右目を与えられて治し、そのお礼に自分の好物こんにゃくを断って供えたといわれており、眼病治癒祈願に広く信用を集めているとのこと。
近くの一葉が通ったという都文化財として保存されている旧伊勢屋質店にも立ち寄る。
旧江戸城の石垣で積み上げられた塀沿いを進み、次に向かったのは北野神社。階段を登った小高い所にあり、頼朝が東征の際夢に道真が現れて
2つの吉事が告げられ、お告げの通り子ができ平家追討を果たしたため、お礼にこの地に社殿を造営したといわれる。社殿の前に夢で道真の立った
跡にあったという牛の形の石があるのが別名牛天神の由来。