中ノ沢温泉若商OB店主の『西村屋』に到着。温泉に浸かっていただいた後は、宴会となるのが
定番であるが、今回はちょっと違った。土津神社以降ご案内いただいたOBでもある歴史ガイドの
鈴木清孝氏が今度は語り部として、引き続き「民話」を独特の口調でご披露いただいた。語り部の
身なり恰好に小道具を配しての「語り」は雰囲気充分、身を乗り出し皆聞き入った。
 その後、宴会突入。鈴木語り部や、猪苗代支部2名の懇親会飛び入り参加もあり、盛り上がること
この上ない。地産の食材を使った料理に舌鼓、お酒も進む。ときを忘れてはなしに花が咲く。気が
付けばお開きの時間となり、店主やその若女将ご夫妻、鈴木語り部、2人組、みんな赤ら顔で写真
に納まった。
 戊辰の役151年目のふるさとに想いを馳せる旅
 単独口湧出量日本一を誇る中ノ沢温泉。朝にも乳白色の温泉を楽しみ、2日目スタート。
2日目(10月7日(月)) 

 旅行の計画段階で心配された吾妻山の噴火兆候はなく、道路規制もなく予定どおりスカイラインを
走行し浄土平へ向かう。途中、見え隠れする猪苗代湖を眼下に眺めながら赤くなりつつある山木を
くぐりバスは進む。着いた先は霧が立ち込めていたが、せっかく来たのだからと一七〇七bの吾妻
小富士に登る。ガスがかかっていたためか、W登頂者Wは多くなかったが、幻想的風情を味わう。
 山を下り向かった先は、我らの母校・若商校である。敷地内に入るのは何年ぶりだろうか。思い
想いを胸に卒業以来初めてという者もいたかも。熱いものを感じた輩もあったに違いない。また、
学校側のご配慮もあって明浄会館内部に入らせていただいた。若商校創立100周年を記念して
建てられた、あの建物だ。
初日(10月6日(日)) 
 鶴ヶ城会館で昼食を摂る。お土産を大量に買い込む者もいた。道の駅「しもごう」でソフトクリームを
頬張った後、バスは雑踏のアキバへ向かった。

昭和44年卒 新21回生 三浦新治

 曇天のアキバ駅前に集まった仲間24名を乗せたチャーターバスは東北道、磐越道を走行し、
最初に到着したところは会津初代藩主・保科正之公が眠る土津神社だ。その墓前に手を合わせる。
正之公は、徳川3代将軍・家光の弟君で、家光を補佐し、幼少の4代将軍・家綱を後見した江戸
3名君のひとりと言われた賢人。正之公の和歌『貧しさも老いも忘るる楽しみはまなふる道の
まことなりけり』のこと、土台の亀石に載る碑石の高さ約5.5bは神社の碑石としては日本最大との
説明も併せて受けた。次に向かったのは五色沼。独特の水面の毘沙門沼はいつ観ても魅せられる。
磐梯山は恥ずかしいのか雲に身を隠していた。会えなくて残念!
 持参した清酒1升瓶4本が懇親会でみんなの胃袋に収まり底をつく。猪苗代支部から差入れいた
だいた1升瓶2本は2次会でこれも平らげてしまった。持参したいつもの手造りニシンの山椒漬け、
キュウリの一本漬けなど多種豊富なおツマミや雰囲気満載の2次会のせいもある。都合1升瓶6本が
一晩にて消えた。たぶん若商旅行会始まって以来のこと。小生が旅行会世話人となって今年で7回
7年となるが、少なくともこの期間としては最高記録である。舞台が「ふるさと」だったからかもしれない。
 令和初年の若商会の旅行先をふるさと会津方面とした。戊辰の役から151年目である。
アキバ→(昼食・上河内SA)→土津神社→五色沼(毘沙門沼)→中ノ沢温泉(泊)  

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2019年10月6日〜7日

浄土平(吾妻小富士)→母校・若商校内遊歩→(昼食・鶴ヶ城会館)→道の駅・しもごう→アキバ
 いろいろあったが、今回は、歴史ガイド兼語り部の鈴木清孝氏をはじめ、各方面のご支援が
あったからこそ楽しめた旅。「ふるさと」だからこそ味わえた旅となった。懐かしく堪能できた。
ありがたいことだ。あらためて感謝したい。  

皆さんお疲れ様でした また来年参加してね!

 小生の同級生である猪苗代在住の3名女性グループから金一封を届けていただいたことや、
旅行参加の佐藤順昭氏の下郷町ご実家から野菜のお土産という嬉しいハプニングもあった。